こんにちは。
毎週、原耕先生について学んでおります。
今回は年表の最終回、昭和篇です。
昭和2年 ・米領フィリピン、蘭領諸島を視察する
・農林省並びに鹿児島県より南洋調査を嘱託される
・6月1日、第一次南洋漁場探検に出発。
パラオ・セレベス・マルク諸島アンボンに至り
12月に帰還する
昭和3年 ・2月、鹿児島1区から民政党の推薦を受け、
衆議院議員に当選する。その後、床次竹二郎の
「新党倶楽部」設立に伴い、原耕も新党倶楽部に加盟
・4月、第55回帝国議会において「漁業奨励ニ関スル建議案」
および「南薩鉄道並薩南中央鉄道買収ニ関スル建議案」を提出
昭和4年 ・農林省、拓務省、台湾総督府、南洋庁より
南洋諸島調査を嘱託される
・第56回帝国議会において「噸税法中改正法律案外一件委員会」
の委員長を務める(1月~3月まで)
・『南洋の鰹漁業に就て』『南洋の鰹漁業(其貳)』
『敢えて漁友諸君に訴ふ』を発行
・3月、第56回帝国議会において「遠洋漁業奨励法中改正法律案」
を提出。本会議において南洋漁業について演説する機会を得る
・6月1日、第二次南洋漁場探検へ出発。アンボラのラハ村に
250ヘクタールの広大な土地購入の交渉を開始する。12月帰還。
・7月、新党倶楽部と政友会の合同により、原耕も政友会へ
昭和5年 ・2月、第17回総選挙、鹿児島1区から衆議院議員選挙に出るも落選
・米領フィリピン、蘭領東印度、英領シンガポールを視察する
昭和7年 ・農林省、拓務省、台湾総督府、南洋庁より
南洋諸島調査を嘱託される
・2月、第18回総選挙が実施され、鹿児島1区から立候補して
床次竹二郎を次点におさえトップ当選する
・6月、当時の内閣総理大臣齊藤實宛に「南方漁場ニ対スル陳情」
を提出
・9月、第63回帝国議会において「指宿枕崎間鉄道敷設ニ関スル建議」
を提出
・12月、第三次南洋漁場探検に出発
昭和8年 ・8月3日、アンボンで漁場基地建設中に悪性マラリアに冒され
客死。享年58歳。
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